札幌の「道」を巡って(大学院所感⑥)

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北海道の「道」計画vol.3,25ということで、札幌市南区簾舞エリアを研究員の方と一緒にフィールドワークを行なった。国道230号線の旧道や本願寺街道、定山渓鉄道の遺構、八剣山エリアを巡った。ほとんどブラタモリ。やはり現場に行くと、それぞれの「道」に歴史があることを再認識させられる。今回訪れた場所について、それぞれ軽く振り返っていく。

国道230号線は山間部、豊平川を超えて中山峠へと繋がっている。今でこそ豊平川を渡る橋が出来て比較的まっすぐ(北海道にしては結構蛇行しているが)な道になっているが、旧道を見ると橋がなかった頃の道路建設の苦労が垣間見れた。川を避けながら進むために非常にグネグネとした(かつて七曲り道とも言われたらしい)道であり、当時の人々の移動の大変さを痛感した。

この国道の近くにあるのが、本願寺街道である。これは230号線のほぼほぼ旧道に当たる道で、東本願寺の関係者が建設した、山越えをする街道である。彼らの開拓の功績があるからこそ、今の230号線は成り立っていると言っても過言ではない。なんと明治時代そのままの姿を残している部分があった。

地元の有志団体が設置した案内看板
街道といっても非常に険しく、ほとんど登山道である

当時の旅人が見た風景をほとんどそのままで追体験できるとは非常に貴重な場所である。こういうところは観光地としてでなく、隠れた名所として続いて欲しい。

本願寺街道の様子に感動し、続いて豊平川を越える橋の下で、別の旧道に関するレクチャーを受けていると、砂地の地面に何かの足跡がある。これは犬?と思ったのもつかの間、大きさ、形状から見て明らかにヒグマであると分かった。人間本当にびっくりすると言葉を失うもので、少しの間研究員の方と私の間の空気は凍りついた。が、すぐに我を取り戻し、その場から即座に撤退をした。

まるでお手本のような足跡
怖い怖い

これまで「クマ出没注意」という看板は幾度となく見てきた。どこか根拠のない自信を持って、クマなんて出ないだろうと思っていた。しかし今回の一件で明らかに心持ちが変化した。やはり北海道にクマはいる。これからは、この看板が目に入ったら絶対に警戒しよう、なんてことを思ったわけで。

ヒグマの痕跡と遭遇したことで、それからのフィールドワークはどこかドキドキしながら進めていたが、その次に定山渓鉄道の跡地を見学した。定山渓鉄道とは1918年に開業、1969年まで存続した白石駅(札幌市白石区)と定山渓(札幌市南区)を結んでいた鉄道である。廃線になったのが50年前かつ線路や駅舎はほとんど撤去されているので、かつての沿線はほとんど自然に帰っていた。

定山渓鉄道 小金湯停留所〜一の沢停留所 跡地
キロポスト 当時のものらしい

この遺構を見て思うのは、所詮人間の痕跡なんてあっという間に自然に戻ってしまうということだ。どんなに繁栄しても人間がいなくなったら、生きていた痕跡なんてほとんど残らないんだろうな。少し大げさな感想かもしれないが、自然と人間の関係性について少し考えるきっかけになった。

最後に八剣山エリアを訪問した。山頂に8本の剣が刺さっているように見えたために、このような名前が冠された山である。今でこそトンネルが開通しており、山越えは楽になったが、かつては切り立った崖に面した道を通る必要があった。

かなりボロボロで、
シャレにならないサイズの落石もあった

ここを馬が通り、自動車が通った。一方は急な斜面、もう一方は崖と非常に危険な場所であり、当時事故はある程度発生していたようである。このようなリスクを負ってでも、当時の八剣山エリアに居住していた人々は「移動」をしようとしたのだ。彼らにとってこの「道」は生活の一部だったのだ。八剣山エリアにはキャンプ場があり、次回のYone’ campの開催地候補に決定した。

他にもワイナリー(八剣山ワイナリー)もあり、非常に魅力的な場所であった。というのも今回訪問した簾舞エリアは扇状地であり、果物の栽培に非常に適している。そのおかげもあって多くの果樹園があった。

札幌市の中でも他のエリアとは一線を画す南区エリア。これまで真駒内ぐらいしか訪れたことがなかったが、まさかここまで面白い歴史があるとは思わなかった。今回取り組んでいる北海道の「道」計画の大筋とは離れてしまうが、「道」という観点で見れば決して無視できるものではない。是非ともこちらに関しても映像化してみたいと強く思った次第だ。

フィールドワークにご同行頂いた、一般社団法人北海道開発技術センターの原口氏にはこの場を借りてお礼申し上げたい。

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