すっかり北海道は秋、いやすでに冬の香りが漂い始めている。
学生生活最後の夏休みはあっという間に過ぎ、気づけば最後の後期を迎えようとしている。
就職活動が終わったら多少はのんびりできると期待、ここでいうのんびりとは何にも考えずぼーっとしたいという意味合い、をしていたが、リサぺだ研究だと心休まる瞬間があまりなかった。
もちろん恒常的に忙しいというわけではなく、道内旅行をしたり、山陰地方に行ったり、久々のソロキャンをしたりと充実したプライベートを送っていることには間違いはない。しかし、心のどこかに常にやらないといけないことがモヤモヤと漂っており、心を空っぽにしてその時間を過ごすということがあまりできなかった。
平たく言えば、脳が休まっておらず、常にハイな状態。
こんな夏休みを過ごしている中で、懐かしい人物との再会があった。
中学時代の美術の先生がたまたま札幌にいらした。インスタのストーリーで札幌に来ることを仄めかしており、ついついDMを送り、ついつい会う約束を取り付けてしまった。
今でこそクリエイティブが好きな人間になったが、中学時代の自分は美術の時間があまり好きではなかった。絵を描くことが苦手、内申点のために頑張らないとという気持ちがあったかもしれない。とにかくビジュアル表現そのものがあまり好きではなったように思う。
そんな苦手な美術の時間で特徴的だったのは「発想ノート」である。
B6サイズのノートを手渡され、そこに普段の発想や美しいと思ったもの、いろいろなアイデアを書き込むいわばネタ帳のようなものである。
学期末の課題は発想ノートを提出することという、なんとも抽象的な課題であり、当時の自分はえらく困惑したものである。今の自分であれば、楽しみながら発想ノートに向き合うことができたはずだ。しかし、中学生の自分はとにかく苦しんだ(笑)なんでこんなもの描かないといけないんだよと。。。
時は流れ、大学生になり、ふとしたきっかけでスケッチブックを手に取ることがあった。インターン先の人がスケッチブックにいろいろなことを記入して、自身のアイデア整理に使っているのを見たのである。
この時、発想ノートが即座に思い出された。
ああ、懐かしい。そういえば中学時代にいろいろとアイデアを書き溜めていたなあと。
もう一回やってみようかなというくらい気軽な気持ちで、再び発想ノートを作り始めたのである。
その時感じたこと、考えたこと、思ったこと、反省したことなどなどをスケッチブックに書き込んでいく。はじめは小さめのスケッチブックを発想ノートとしていたが、冊数が重なるにつれて大きなサイズのスケッチブックにも手を出すようになった。
大学1年の頃から再開させた発想ノート。気づけば大学生活6年間の相棒となっていた。
それぞれのページには、その瞬間ごとの自分がいる。
ときには過去の自分が現在の自分を励ましてくれる。
ときには過去の自分が現在の自分を叱ってくれる。
発想ノートはもはやただのアイデア帳ではなくなった。
美術の先生が思い描いている発想ノートとは程遠いものになってしまったのかもしれないが、
間違いなく今の自分を支える大切なものになっている。発想ノートは自分の一部となった。
大げさかもしれないが、学生から社会人になる直前のタイミングで発想ノートを教えてくれた師に出会えたことはどこか運命的なものを感じた。今でもノートを続けていることを直接伝えられてよかった。
これまでのノートの積み重ねが次のステージへの後押しをしてくれるような気がする。
そんなことを思いながら今日も北海道の一室で発想ノートに書き連ねていく。
今日の自分はいつの自分を救うのだろうか。