北海道米と聞いてどのような印象を受けるだろうか。北海道だから美味しい?そんな声が聞こえてくるかもしれない。現在市場に出回っている「ゆめぴりか」「おぼろづき」「ななつぼし」等は確かに美味しい。さすが北海道!と言いたくなる美味しさを誇っている。
今でこそ有名になった北海道米だが、その歴史は非常に険しいものだった。開拓期まで時間は遡る。当時はお雇い外国人が開拓の助力になっていた。そんな彼らから北海道において稲作はやめておいた方が良いという指示を受ける。(すっごいざっくりとした歴史で恐縮です)
そんな状況に置かれても北海道で稲作を成し遂げようとした一人の男がいた。河内国生まれの中山久蔵である。彼は42歳にして北海道への定住を決意し、寒冷地での稲作を実現させるために奔走した。彼は道南地方から「赤毛種」を取り寄せ、北広島の島松にて稲作を開始した。水田に植えても寒さ故に水が冷たくなってしまい一向に育つ気配がない。この課題を解決するために、風呂を沸かしてお湯を水田に注いだりとできることをやった。
努力が実り、ついにコメの収穫に成功。その量は350kg。国産業博覧会に出品したところ非常に高い評価を受けた。久蔵はその後種籾を他の地域に無償で配布し、北海道の稲作発展に大きく寄与したのであった。現在の北海道米は「赤毛種」の子孫である。久蔵が寒冷地での稲作に成功したことで北海道の稲作業は大きく動き始めた。彼の不断の努力のおかげで、北海道産の美味しいお米を食べることが出来ると言っても過言ではない。
参考:「開拓の群像」刊行委員会『開拓の群像』p.67、2013年
これから北海道米を食べる時には、先人たちの苦労に敬意を払うことを忘れないようにしたい。
島松(北広島市)には久蔵が営んでいた駅逓(宿泊や馬の交代が出来る場所)跡がある。先日、北海道の「道」計画の調査で立ち寄り、そこのガイドの方に丁寧に解説頂いた。もちろんここは北海道の歴史にとって重要な場所であるが、同時に北海道大学の関係者にも非常にゆかりのある場所だ。というのも、クラーク博士が北海道を去る際に、当時の札幌農学校生と別れたのがまさにこの駅逓の目の前の通りなのである。
今でこそ国道36号や道央自動車道があり、主たる道ではないが、かつては多くの人がこの道を往来した。この「道」の側で稲作の寒冷地栽培が成功し、この「道」でクラーク博士の”Boys, be ambitious!”という言葉が生まれた。やはり「道」にはそれぞれ無視できない歴史がある。
まだまだ計画の「道」程は長い。
P.S.
今回のアイキャッチ画像の稲は、まさしく今回取り上げた赤毛種そのものである。旧島松駅逓所を訪問した際にガイドの方から頂いた。非常にありがたい限りである。改めてこの場で感謝を申し上げたい。きちんと花瓶に挿して大学院の机に飾ってある。花瓶に稲を挿すのは違和感もあるが、北海道にとって無視できない歴史の産物なので、細かいことは気にしないこととする。