北海道の「道」計画~令和3年度のまとめ~

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ようやく雪が溶け始め、北海道にも春の香りが漂い始めている。
今年度の冬は例年にない厳しさとなり、北海道生活5年のなかで最も辛い冬だった。

とんでもない積雪量だった

いよいよ修士1年の年が終わろうとしている。
あっという間であったようで、非常に長くも感じた不思議な年であった。

改めて修士1年の目標を整理すると、
どこかのグループに所属するだけで満足していたこれまでの自分から脱却し、
「個人」としての軸を持ち、活動を行うことであった。

この目標を達成すべく、立案したのが北海道の「道」計画であった。
全国的に見ても特殊な歴史を持つ北海道の「道」の歴史に着目するというものだ。

入学してからわずか2日程度でガンガンフィールドワークへと旅立っていたのが懐かしい。
(お金と時間はそれなりにかかってしまったが)

そんな企画から始まった令和3年度はどうだったのか?
結論から言ってしまえば予想以上の結果を生み出した。
前期の振り返りは先日行っているので、今回は後期を中心に振り返ってみたい。

夏休み

ある意味転換点となった期間であった。

霞ヶ関インターンシップに参加し、国の中枢の現場感を知ることができた夏休み前半。
国家公務員という職種は決して楽なものではなく、大きな責任と使命を帯びて仕事に向き合う必要のある大きな仕事であるということを痛感させられた。意外と悪いところじゃないかも。

夏休み後半は防災について考えた。
公共政策大学院のメーリングリストで流れてきた “Entrepreneurship program for Resilient Societyの宣伝。このプログラムは防災をテーマにビジネスプランを考えるというもの。防災はまさに社会インフラが大きく関わる領域ということもあり、訳もわからずアプライした(混乱状態)

災害経験の乏しい地域において、どのようにすれば想定される災害に対処できるのかという問題意識のもとで、防災政策を考えていくシステム(プラン内ではDisaster Prevention Evacuation System 通称:”DPES”と呼称)を考えた。詳しい概要は次のリンクから参照して頂きたい。

このように防災について考えた夏休みであったが、これまでの人生で災害で被害を受けた経験はない。このような輩が防災のことを語ってもよろしいものかと思い、9月上旬に「被災地を知る旅」を「道」計画の番外編として実行した。

主に宮城県と岩手県の沿岸部を訪問し、震災発生から10年が経過した被災地の現場に向き合った。

石巻市立大川小学校(津波によって多くの児童に犠牲者が出た)
津波被害を受けた「道の駅高田松原」(道の駅求道者として非常に心が痛む)→現在は新施設にて営業
たろう観光ホテル@岩手県宮古市田老地区(津波遺構として登録)

10年経ってもまだまだ復興が完了したとは言い切れない状況が被災地にはあった。地域の高台移転などで、そもそも使われなくなってしまった場所もあるが、それにしてもまだまだ復興は途上であると感じた。

テレビなどのメディアでは何度も見ていた被災地。しかし実際に現場へ赴き、その場所を肌で感じ、体験することでしか見えてこないものがある。
ありきたりな言葉で言えば、やはり現場を見るのが重要ということだ。部屋にこもっていても見えてこないものが多い。特に社会インフラのように現物があるものに関してはなおさらだ。

このように被災地のリアルを知ったことで、防災への解像度が少し上がり、プログラムにも主体的に参加できたと思う。このプログラムに参加したことで、公共政策大学院の防災政策研究ユニットに参加することとなり、このプログラムで培ったアイデアを実装する機会を得ることになったのであった。やはり突発的にやってみると繋がるものがありますねえ。

新たな領域への一歩。これが修士1年の夏休みであった。

後期

後期は前期に比べ授業数を絞り、大学外での活動をメインに据えた。
引き続き道の駅巡り、防災政策研究ユニットとしての活動、学生団体HALCCとしての活動、芽室町での活動と、前期に比べて大学院にいる時間は減ったように思う。大学院にいたとしても防災政策研究ユニットのお部屋にいることが多く、自分の自習室の机を使う機会が減った。言って仕舞えば大学院内での二拠点生活である。

前期にも行っていた道の駅巡り。これまでは一人で実行する機会が多かったが、後期では仲間と共に巡ることが多かった。後期に回ったエリアはオホーツク、十勝、道央エリアがメインである。

層雲峡近くの双瀑台
美幌峠からの景色

一人で行う旅もいいが、仲間のいる旅もやはり良い。今後は交互にやっていきたいと思う。
おかげで令和3年度の道の駅訪問成績は115/127箇所となり、もう間も無くで完全制覇となる。
この趣味を大学院の指導教官に半ばネタで伝えたところ、かなり気に入って頂き、ななんとリサーチペーパーの題材として扱うことがほぼほぼ確定した。現在目下、文献や先行研究を調査中である。他にも道の駅の有識者に質問をしているところだ。

かつての先生に研究は楽しくできる題材が一番ということを言われた。
趣味として始めた道の駅巡りが研究という形になるとは全く想像もしていなかった。
これこそ学びの集大成としてのリサーチペーパーとなるのではないだろうか。
模範的な公共政策大学院生である。

10月ごろまでは道の駅巡りとしてガンガン車を運転していたが、雪が降ってからはJRを使って移動する機会が多くなった。これまでJR北海道はどこか縁遠いものであったが、やはり特急は便利である。移動が激しい時は1週間で日高山脈を4回越えたこともあった。車で考えると日高山脈は難所であるが、鉄道だと楽々越えてしまう。座っているだけで着いてしまうなんてもはやマジックである。決して鉄オタというわけではないが、鉄路の旅情に味を占めてしまった。

HALCCとしての活動では津別町、北見市へ、政策討議演習という講義では芽室町、さらには登別市、福島町へ。とにかく大学外で学びを深める機会が多かった。しかも全て経費で…!

徹底した現場主義を貫けた。全ての関係者に感謝。

結局「道」計画はどうなったの?

ここまで簡単に夏休み〜後期の活動を振り返ってきた。読者の方々は「あれ?道の歴史とかはどうなった?」と疑問に持たれたと思う。

はっきり言ってしまえば、歴史のことはそこまで触れられていないのが現状である。
決して無駄だったわけではなく、「道」計画の企画があったからこそ、その後色々なものに繋がっていったと考えている。

「道路に興味があります!」
「道の駅回っているんですよ〜」

と周りにしつこく言っていると、自ずから情報や機会が舞い込んできたように思う。
おかげで大学院内での自分のキャラは完全に「道路おじさん」である。

自分は何者であるのか。何に興味があるのか。
明確な専門性を定義し難い公共政策大学院において、これらのことは常にプッシュし続けなければならないことなのかもしれない。些細なことでも構わない。

自分が持っているビジョンは何かということを発信し続ける。
この地道な活動が大きな実を結ぶことを実感できた年だった。

これから6月頃まで進路を決める時期に差し掛かるので、
昨年の同時期のようにガンガンキャンプや道の駅というわけにはいかないかもしれない。。。

楽しみながら今この瞬間を生きていければと思う。

結論:本当に充実した年でした。引き続きよろしくお願い致します

P.S.「道」計画に関しては7月以降で再開させていく予定です。乞うご期待!

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