身近にあっても忘れがちなもの

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北海道大学公共政策学教育部における、2021年度後期が始まった。

後期は工学系や理学系の講義にフォーカスし、講義主体から研究活動主体へとシフトさせる予定である。大学院生としての実績をきちんと出していけるように活動を続けていきたい。

少しだけ夏の振り返り。夏季休暇は久々に充実したものとなった。

中央省庁におけるインターンシップ、東北の被災地訪問、防災政策を思案するプログラムへの参加など、基本的に学びが多い期間を過ごした。今後の進路を考える上で非常に重要な時間になったことは間違いない。自分がどのようになりたいのか、何をしていきたいのかが少しずつ明確になってきているように思う。この話はまた別の機会にでも…

今回のタイトルの話をしたい。

コロナ禍において痛感させられるのは、日常のありがたさだ。

気がつけば2年近くも「コロナ」に振り回され、一人で過ごす時間が以前よりも増えた。そんな中で色々なことが頭をよぎる。昨年の主体性のなかった頃の自分から、自分をメインに考えるマインドセットに切り替えたことで、さまざまなことを考えすぎて病むことはほとんどなくなった。はっきり言って、精神的にはかなり安定しているし、様々な取り組みに対して主体的に取り組めているように思う。SNSの使用をほぼカットしたので、他人が何をしているのかを知る由はないが、今は自分が一番大切なので、SNSに回帰しようとも思わない。というかもう戻ることはないと思う。

とまあ、身の上話が長引いてしまったが、結局言いたいことは人間は脆く儚いものであるということだ。つい先日まで元気だった人が突然消えてしまうということが、往々にして起こりうる。誰もがいずれ死ぬことは分かっている。分かっているのに、ついつい忘れてしまう。そして、失ってからようやく失ったものの大きさに気づく。これが悲しき人間の性なのかもしれない。

もちろん、いつ訪れるのか分からないものに日々怯えて過ごす必要はない。今、この瞬間を一生懸命生きることが、周りの人にとって、自分にとって一番大切なことであると思う。だからこそ、大切な人が目の前にいる間に、たくさん愛を与えてもらって、こちらからも愛を与えることを忘れてはいけない。少しでも後悔の無い別れができるように。

年を重ねていくにつれて、少しずつ生きることの楽しさと難しさを感じるようになってきた。

これが大人になっているということなのだろうか。

目の前のことを大切に、後期は走り続けていきたい。

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